ゲーム開発におけるマーケティングの実践:「マーケティング不要論者」の企画法との接合点

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『パックマンのゲーム学入門』

個人的に、ここ最近ゲームのマーケット分析とそれを踏まえた上段のマーケティングを仕事として担当することが増え、リリース前のゲーム開発においていかにマーケティングが貢献していくべきかについて考えることが多くなりました。

そんな中、ふとしたことで家の本棚にある『パックマンのゲーム学入門』という本を改めて手に取る機会がありました。2005年に出版された本で、著者はあのパックマンを制作した岩谷徹さんです。だいぶ昔に買って読んだ本なのでうっすらと埃をかぶっており、紙も少し焼けて何となく縁の部分がオレンジ色味を帯びてきています。

私がこの本を買ったのは2013年。当時は大学院を卒業してゲームクリエイターとしてキャリアを歩むために買いました。当時としてはレジェンダリーなゲーム開発者の考え方や実践していることを吸収して、自分もクリエイターとしてレベルアップしていこうと意気込んでいたのを記憶しています。

そんなこんなで改めてデータ分析・マーケティングに携わる者の視点として改めてこの本をパラパラ眺めていると、購入当時はあまり気にしていなかったある一節が私の目に留まりました。

ゲーム開発にマーケティングは不要

『パックマンのゲーム学入門』の第4章に、岩谷さんと任天堂の宮本茂さんとの対談が掲載されています。宮本さんはあまりに有名な方ですが、念のため簡単に紹介しておくと、『ドンキーコング』でデビューを飾ったのち、『スーパーマリオ』シリーズや『ゼルダ』シリーズなどゲーム業界を代表する作品を次々に生み出された方です。2019年にはゲーム関係者としては史上初となる文化功労者に選定されています。

そんなレジェンダリーなお二人の対談の中、「営業から不満の出ないゲームをつくり続ける」と題した箇所で次のようなやり取りが書かれていました。

岩谷 任天堂さんもそうだと思いますが、マーケティングからの企画依頼がありますよね。あれはどう思われますか?私はマーケティング不要論者なので、多くの人に意見を聞いても新しい意見はないと思っています。マーケティングの結果は常に平均的で、「シリーズの続編が欲しい」とか、「流行のジャンルのタイトルをつくって欲しい」とか、目新しさには欠けます。やっぱり、新しい遊びをつくるのがゲームクリエイターの仕事なのだから、市場にニーズにあったものを作るのはゲームクリエイターの本分とは違うと思うのです。
宮本 私もゲームというものづくりにマーケティングは必要ないと思います。いままでもマーケティングが開発に関与しないでここまできていますしね。スタッフによくいっているのは、「(ゲームの仕様を) 営業に決めさせない」ということです。営業が決めるからダメなのではなく、営業が企画に口を出すのは、開発のつくったゲームが売りづらいと判断したから、営業からゲーム内容に対する要求が出ると思うのです。だから、「営業に決めさせない」ということは、「営業から不満の出ないゲームをつくり続ける」ということが前提になるのです。
マーケティングというものは、「いまあっていいもの」を示したモノですよね。でも、ゲームの開発は、二年後を見越して開発していますから、いまを規準にしたマーケティングを参考にするのは、間違っていると思います。いまは、いろんな要素を詰め込んだモノが売れる時代ですから、どこを不必要とするかは難しい判断ではありますね。最新型のビデオゲーム機なんて、マーケティングの成果そのものですし。でも、ソフト開発に関しては、マーケティングは不要だと思います。

この対談がいつ行われたものかは本文に書かれていませんが、少なくともこの本が出版される16年前よりも前の話であることは間違いありません。当時はまだソーシャルゲームやスマホのゲームが出ていなかった時代ですし、コンソールゲームにおいても今とは市場を取り巻く環境は大きく異なります。

そのため、その16年の時代の差を考慮した上でこの対談の内容を咀嚼する必要があります。とは言うものの、ゲーム業界を代表するようなある種レジェンドなお二人が著書の中で自らを「マーケティング不要論者」と公言していることは、目下ゲーム開発のマーケティングに関わっている自分にとって重くのしかかるものでした。

自分のやっていることは間違っているのだろうか。本当にゲーム開発においてマーケティングは不要なのだろうか。この対談はそういったことについて改めて考えさせられるきっかけとなったのです。

ゲーム開発にマーケティングは不要?

では、本当にゲーム開発においてマーケティングは不要なのでしょうか?この問いに対して、16年前の対談を引用して、当時とは全然環境が異なる今の状況を踏まえてそれを批判することは難しいことではないでしょう。ですが、それはあまりに無意味な行為です。ここで私がしたいのはマーケティングの人間として「ゲーム開発にマーケティングは必要だ」ということを声高に叫ぶことではありません。

一方、同じ『パックマンのゲーム学入門』の中で、岩谷さんはまた以下のようにも述べています。この一言はゲーム開発におけるマーケティングを考える上で非常に重要なポイントであると私は考えています。第2章の「すべては観察から生まれる」と題した一節です。

例えば、ある会社員が毎日自宅と会社を行き来している電車の中で人間観察をしていたとします。ある日、ふと車内をみまわすと、多くの人が共通して持っているあるものを発見します。このとき、皆がなにを持っているのかという情報、そしてなぜ皆が持っているのかという分析の結果、こういう理由が考えられるのではないだろうかと考察してひとつの仮説 (発想) が立ちます。この会社員の頭の中で起こっていることは、まず「観察」を行い、それとほぼ同時に「分析」、「考察」と頭を働かします。そして、その結果「仮説」が生まれるというものです。
私はこうした「観察➡分析➡考察➡仮説」といった一連の流れを、アイディア探しとして日常的に習慣づけており、常に何かしらに興味を持っているといっても過言ではありません。
このように、日常の些細なことに目を向けるだけで、どんどんアイディアにつながっていくはずです。私は、この流れを「観察」から生まれるアイディアと考えています。

この一節を改めて読みなおした時、私はこれは紛れもなくマーケティングの発想であると感じました。

この人間観察の話は、「破壊的イノベーション」や「ジョブ理論」で有名なクリステンセン教授の著書に記されたエピソードを彷彿とさせます。なぜミルクシェイクが平日の朝と休日の日中に売れるのかという有名な話です。そこではいわゆる「市場調査」や「マーケット分析」ではなく、生のユーザーを観察し彼らがどういうジョブを片付けるためにミルクシェイクを雇ったのかという背景に深い洞察を向けることの重要性が述べられています。

ゲームとミルクシェイクは全くの別物ですが、人間観察という行為を通じてマーケティング不要論者を自称されている岩谷さんと、イノベーションの研究者としてマーケティングに多大な影響を与えたクリステンセン教授が重なって見えたのです。

「マーケティング不要論者」が習慣的に行っていることが、実は紛れもないマーケティングの実践に他ならない。この事実に改めて気づいたインパクトは私にとって非常に大きなものでした。ゲーム開発におけるマーケティングとはどうあるべきなのかを考えさせられるものだったのです。

ゲーム開発におけるマーケティングとは何かを問い続ける

「ゲーム開発におけるマーケティングとは何か」を問うことはあまりに壮大なテーマで、それだけで1冊の本が書けてしまうでしょう。それをこのブログ記事で問おうとすることはあまりに無謀な行いのようにも感じられます。ですが、上で引用した岩谷さんと宮本さんの話はこのテーマについて考える上で重要な示唆を含んでいるのもまた事実のように思えます。

特にゲームというメディアにおいて人が何に対して「面白そう」と思うかは、その人が得てきた様々な体験の記憶と照合されて知覚され、その人が現在置かれている環境や状態の影響を多分に受けながら生じるものであると私は考えています。例を挙げるならば前者は「若いころに寝る間も惜しんでオンラインゲームに熱中した体験の記憶」であり、後者は「仕事と育児で手いっぱい」で「コロナ下で窮屈な思いをしている」自分、みたいなものです。

そう考えた際に、ゲーム開発におけるマーケティングとは自分たちがどういう人をターゲットにするのか。その人たちはこれまでどのような体験を経てきてそれが記憶として残っており、今どういう環境下にあって何を意識下・無意識下で感じているのか。それを踏まえた際に彼らは何を求めている (ないしは何を提示されれば喜ばれる) のだろうか。こういったことごとに思いを馳せ、2年後3年後の未来を予想しながら次のアプローチを考えていくことにあると思います。

例えば、先ほどの例を踏まえるならば「自分が世の中の歯車に組み込まれ、やりたいことよりもやらなければならないことに翻弄されている。かつては夢と希望、時には野望に満ち溢れていたのに、今はどことなく惰性で日々を過ごしてしまっており、このまましがないサラリーマンで一生を終えてしまうのかということにある種のさみしさすら感じてしまう。そんな中で、希望と野望に満ち溢れていた若々しい学生時代に熱中していた体験やその時にハマっていて今も強く印象に残っているオンラインゲームの体験をどこか懐かしく思い、もう一度あの頃に戻れればなぁなんて思ってしまう。ただし、今の自分には仕事も家庭も、肩に背負っているものが多くなってしまった。今更すべてを投げうって朝から晩までオンラインゲームに熱中できるわけではない。ただし、生活のほんの一部の時間でもいいので、かつてのような濃密な体験を改めて味わいたい」のようなものです。

当然ながら、このような人間心理はいわゆる「市場調査」としてイメージされるようなアンケートを取って見えてくるものではありません。ただし、このような人間観察は立派なマーケティングの行いであり、マーケターとして意識しておかねばならないことであるのは間違いありません。マーケターは今、クリエイターの企画法から学べることがあるのではないかと思っています。その逆も同様で、クリエイターもまたマーケターの実践と手を取り合ってより良いものづくりに向かってまい進できるはずだと思っています。

「マーケティング不要論者」が行っている「企画法」がマーケティングの活動そのものである。この一見すると矛盾するような事態がゲーム開発におけるマーケティングを考える上で今一度真剣に考えられるべきと感じました。改めて、ゲーム開発に関わるすべてのマーケターとクリエイターに「ゲーム開発においてマーケティングがどうあるべきか」を考える機会が増えることを願っています。