百年戦争とスコットランド⑥:重なり合う紛争ー②

スポンサーリンク

フィリップ四世に対するエドワード一世の臣従礼 (Public Domain)
フィリップ四世に対するエドワード一世の臣従礼 (Public Domain)

一二九三年の海上衝突

現代を生きる私たちとって、商船と海賊船はまったくの別物である。しかし、当時のヨーロッパにおいて海員たちによる私拿捕活動は日常茶飯事であり、それが武力衝突に発展するのは決して珍しくなかった。

しかし一二九三年、そのような衝突の中の一つが大きな問題へと発展していくこととなる。イングランド南岸の五港市とバイヨンヌ港に所属する連合艦隊が、ブルターニュ近海でノルマンディ艦隊と衝突してこれを打ち破った事件だ。彼らはそれで収まらず、事件はフランス西部の港町ラ・ロシェルの襲撃にまで発展してしまう。

アキテーヌ公領の没収

これを由々しき事態として認識したのが、フランス王フィリップ四世だ。王はこの事件を自身の裁判権に服する地域への侵略行為として受け止め、ガスコーニュを含むアキテーヌの宋主権者としてエドワードの責任を追及した。フィリップは彼に対し、翌年一月半ばを期限にパリへの出頭を命じる。

この要求に対して、エドワードは弟のランカスター伯エドマンドを派遣した。交渉に先立ち、エドマンドはフランス王妃を介して、フランス政府との間に秘密了解を成立させる。それはすなわち、アンジュー側はフランス王の対面を立てるために暫定的に公領と人質の引き渡しを行うが、その後四〇日後には公領引き渡しの命令が撤回され、エドワードの出頭命令も取り消されるというものだった。この秘密協約にしたがって、三月にフランス側が軍隊を派遣し、公領を接収した。ここまでは計画通りに事が進んだ。

ところが彼らはそのまま居座ってしまい、一行に撤退する様子を見せなかった。慌てたエドマンドはフランス側に申し立てを行った。しかし、フランス王とその顧問団の決定は、引き渡された土地の返還は行わないというものだった。そればかりか、彼らは四月二一日に再度エドワードの出頭を命じる。そして、彼がその命令に応じなかったことを理由に、五月一九日、パリ高等法院はアキテーヌ公領の没収を宣言した。

ギエンヌ戦争

ここまでくると、もはや平和的な解決は難しくなってしまう。エドワードはさっそく議会を開催し、王国各地に軍事召集をかけた。その対象者にはジョン王以下、スコットランドの主要な貴顕層も含まれていた。同時代の年代記によれば、ジョン王は多額の資金でもって援助すると約束をしたらしい。並行してエドワードはドイツ王、ケルン大司教、アラゴン王などと同盟を結ぶため、各地に使節を派遣した。事態は急激に戦争へと向かっていくことになる。

そして六月二四日、エドワード王はフランス王への臣従撤回を宣言した。そして一〇月にはガスコーニュに遠征軍が派遣される。最初こそイングランド側はアキテーヌ各地の服従を取り付けたものの、軍の規律がよろしくなかったと言われている。そのせいもあり、一二九五年三月からフランス王弟シャルル・ド・ヴァロワが進軍を開始すると、またたく間にフランス側が大部分を征服してしまうことになる。

その後、イングランド側は終始劣勢に立たされることになる。戦闘行為はその後も継続するものの、一二九五年からカトリック枢機卿を介した和平が模索されるようになり、一二九七年一〇月のヴィーヴ・サン・バヴォン休戦協定で収束する。そして、ようやく一三〇三年になって両者の和平が実現し、一二九四年以前の状態に回帰するという合意が形成された。この戦争に関して、あまりにフランス軍が用意周到であったことから、フランス側が当初から戦争を仕掛ける意図があったと考える歴史家もいる。海上での衝突は、あくまでフランス側に口実を与えるきっかけのひとつに過ぎなかったという訳だ。

ギエンヌ戦争の史的重要性

一二九四年にはじまるこのギエンヌ戦争を、欧米の研究者は事実上の百年戦争の始まりとして解釈している。すなわち、一四世紀に本格化する百年戦争の根本原因はガスコーニュの領有をめぐる問題であり、それが最初に大規模な戦争に発展したのが一二九四年のこの事件という訳だ。日本においても近年の諸著作により、この解釈が浸透してきたと言えるだろう。

しかし、この戦争の歴史的意義はそれだけにとどまらない。この戦争遂行のために行われた度重なる徴税や軍役の要求は、聖職者、俗人を問わずエドワードの臣民にとって大きな財政負担となった。ウェールズでは一二九四年に反乱が発生した。戦争の負担が重くなる中、イングランドは一二九七年に内戦目前と言ってもよいような政治的危機に陥ることになる。

しかし、戦争の余波はそれだけにとどまらなかった。ヨーロッパ北西の島でくすぶっていた別の問題に、この戦争は油を注ぐことになる。その火は途中弱まったり消えかかったりしたものの、結局のところその後二〇〇年以上にわたって燃え続けていく。再び、視点をブリテン諸島に戻してみることにしよう。

レファレンス

記事

書籍