漢字の起源:殷王朝時代の甲骨文字

スポンサーリンク

漢字の起源と殷王朝の甲骨文字

以前の記事で、交易や会計での必要性が人類史において文字を生み出す契機となったと述べた。

yuranhiko.hatenablog.com

しかし、世の中にはそれ以外の理由で生まれてきた文字がある。そのなかの1つが漢字だ。私たちが普段つかっている漢字は、実は交易や会計とは別の理由から生まれたと考えられている。

漢字はどこから生まれたのか。今回はその起源を、漢字が生まれた当時の古代中国の文化や社会と絡めて見ていくことにしよう。

漢字の起源:殷王朝と甲骨文字

今から3000年以上も昔、紀元前1600年ごろから紀元前1050年ごろ、中国の黄河中流域に殷(商)と呼ばれる王朝が存在した。殷王朝は長い間本当に存在したのかどうかが分からないままだったが、20世紀の初頭にその遺構が発見され、実在が証明された王朝だ。[宮本, 2020]

この時代に、今の漢字の直接の起源となった文字が発明された。それが甲骨文字だ。その文字が亀の甲羅や動物の肩胛骨に刻まれていたことからそう呼ばれている。真偽は定かではないが、今から120年ほど前、マラリアの薬として売られていた「竜骨」に古代の文字が刻まれていたのを当時の文部長官が発見したのが甲骨文字発見の始まりだったという逸話まで存在する。その後何度も発掘調査が行われ、現在では膨大な数の史料が発見されている。[白川, 1970] [落合, 2014]

漢字の起源は殷王朝の甲骨文字

甲骨文字はなぜ亀の甲羅や動物の骨に刻まれたのか。それはどのように使われたのか。その謎を解くことが、漢字という文字のなりたちをひも解くヒントになるだろう。

甲骨文字と殷王朝の卜骨儀礼

甲骨文字は単なる亀の甲羅や動物の骨に刻まれたわけではない。それらには当時のキリやノミで穴をあけられており、その部分を焼いた跡が残っている。当然、その穴や火の跡は人為的になされたものだ。それらは、卜骨と呼ばれる宗教儀式で用いられたものであると考えられている。

卜骨とは亀の甲羅や動物の肩胛骨を焼き、その亀裂のかたちで吉凶を占う宗教儀礼だ。未来を占う祭祀は神との交信を行う活動であり、古代社会において重要な役割を担っていた。卜骨はもともと殷の中心地である黄河中流域よりも北西部の牧畜社会で発展した慣習だと考えられている。そこでの卜骨には記号のようなものが記されることもあったが、まだ文字と呼ばれるほど体系だったものは見られなかった。[宮本, 2020]

その後殷王朝は卜骨を取り入れ、王が執り行う重要な宗教儀礼とした。古くから国の大事は祭祀と軍事であると言われているように、殷王朝では祭儀と軍事によって王権が支えられていた。古い首長制社会を継承し、王は共同体の政治や軍事の指導者であるとともに、自ら祭祀を司る宗教的権威でもあったのだ。その甲骨にはやがて文字が刻まれるようになり、その文字が漢字の起源となっていったのだ。[宮本, 2020]

殷代以前の卜骨

甲骨文字の一例を見てみよう。典型的な甲骨文には、占った内容とそれに対して王が下した判断のような形式で書かれている。以下はその日本語訳だ。ちなみに「微」とは殷王朝の支配下の土地またはその領主を意味してる。[落合, 2014]

占った、微は禍がないか。王が占って言った、「吉である。微は禍がないだろう」と。

占われた内容は様々だった。上記のように領地の安全を占ったものから、天候に関するもの(雨が降るかどうか)、敵の襲来を占うもの、儀式の内容をどうすべきか占うもの、王が狩りに出かけるか否かを占うもの......などだ。それだけではなく、対外戦争や大規模な祭祀など重要な決定もこの占いを持って決められた。[落合, 2014]

甲骨文字による記録と殷王の正当性

上で述べた通り、初期の農耕社会で行われていた卜骨には文字は刻まれていなかった。もっとも、吉凶を占うためだけであればわざわざそこに文字を刻む必要はない。文字などなくても吉凶を占うことができ、その結果を口頭で伝えればよいからだ。

なぜ甲骨に文字が刻まれるようになったのか。それを解く鍵は、文字が持つデータの保存という性質にある。つまり、甲骨文字は王による卜骨祭祀の内容を記録するものとして発明されたのだ。古代漢字研究の大家である故白川静教授は、それは祭祀長である王の占断に誤りがなかったことを記録にとどめる意図があったと解釈している。[白川, 1970]

例えば、旬末に次の1旬10日間の吉凶を占う卜旬の辞と呼ばれるものがある。その一例を挙げよう。[白川, 1970]

癸羊の日、貞人のナン(南を偏に、股の右側を加えた字)が卜して、次の1旬に異変がないかを卜した。王は卜兆をみて、往くときは禍変が起こるであろうと占断した。六日戊子の日に、王子の子弓が死んだ。一月。

不幸な話ではあるが、まさに王の占いが現実となったことを記したものだ。このように王と神の交信の記録を残し、その正当性の証拠とすることで王の権威を高めるために文字が用いられたと考えられている。まさに漢字は、王の権威を増幅させるための機能として作られ、用いられたと言えるのだ。[白川, 1970]

甲骨文字

また、殷王によって行われた卜骨は名目上は神意を知るための手段であるが、それが実は政治的に利用されたものでもあったことを中国学者の落合博士が明らかにしている。つまり、殷代の甲骨は事前に加工がなされており、あらかじめ縦長の彫を入れることで「吉」が出るように操作されていたというのである。[落合, 2014]

作為の入った甲骨と、その結果の正当性を示す文字。現代の私たちの目からすれば問題と言えるかもしれないが、それが長きにわたって続けられた行為であったということは、そこに当時の社会なりの「合理性」があったと考える必要がる。私たちになじみ深い漢字は、上記のように王権による支配の確立を進める中で生まれ、用いられたものだったのだ。

レファレンス

[宮本, 2020]

[白川, 1970]

[落合, 2014]