レコンキスタとは何か:その解釈の歴史と展開

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レコンキスタとは何か:その解釈の歴史と展開

前回の記事では、11世紀のイベリア半島における戦争とキリスト教諸国の拡大について述べました。おおざっぱな形ではありますが、当時のイベリア半島の政治状況がキリスト教vsイスラーム教という単純な図式ではなかったことが伝わったかと思います。

読者のなかには、このような疑問を持たれた方もいるかもしれません。では結局、レコンキスタとは何だったのかと。この問いに対して、これまで中世スペイン研究ではいろんな見解が出されてきました。そして、論争は今でも続いています。

私はヨーロッパ中世史を研究してはいますが、必ずしもスペインが専門ではありません。その自分がこのようなテーマについて書くのは暴挙という思いももちつつ、その見解の流れを整理してみようと思います。

レコンキスタ観の生まれと展開

前回述べたように、「レコンキスタ」という言葉自体は19世紀前半になって初めて生み出されました。その言葉は、国民国家が誕生していくなかで、国民みんなが共有できる過去を作ろうという時代の要請に応じて発明されたものだったと言えます。

そこでは、レコンキスタとは「スペイン人」の自由と信仰を回復する活動であり、彼らが失った土地を回復する全面戦争であるとされました。その歴史解釈には、①「奪われた」西ゴートの土地をキリスト教徒が「回復する」戦い②イスラーム教徒に対するキリスト教徒の戦いという2点が混ざりあっています。この2点が、レコンキスタという言葉の根幹です。

その後、1898年の米西戦争での敗北、そして1930年代のスペイン内戦。この2つの出来事は、スペイン人が自国や自国民について問い直す潮流を生み出しました。そしてレコンキスタに関しても、さまざまな解釈がなされるようになります。

特に、中世スペインの歴史を異宗教間の「共存」ないしは「並存」ととるか、宗教対立ととるかは大きな争点となりました。

例えば、内戦後、アメリカに亡命したカストロはキリスト教徒とムスリムの平和と協力を強調し、ユダヤ人も含めた異教徒との共存こそが「豊穣なイスパニア」独特の文化を生み出したという説を展開しました。

一方、アルゼンチンに亡命したサンチェス=アルボノスはそれに反論し、レコンキスタは722年のコバドンガの戦いから1340年のサラッドの戦闘までの600年間、国家的規模で戦われた宗教戦争であると結論付けました。

1970年代:レコンキスタ研究の画期

研究の画期となったのは、1970年代です。それ以降、スペイン中世史学が刷新され、かつてのレコンキスタ研究は大きな修正を迫られることになります。

1974年、バルベロとビヒルという2人の研究者による共著『レコンキスタの社会的起源について』が上梓されます。この著書は伝統的なレコンキスタ観に真っ向から反論しました。

その著書では、レコンキスタの起源として、経済的・社会的要因が重視されました。つまり、半島北部における社会組織の維持、およびかつてローマと西ゴートに対して地元民が保持した社会的・政治的な独立性こそが、レコンキスタの起源であると説いたのです。そこでは「奪われた」土地を「回復する」という政治的意図や、異教徒に対する戦いという宗教的動機は二の次とされました。

その後、この主張に刺激され、多くの研究がなされるようになります。その結果、キリスト教徒による征服の動機は、財や土地の獲得を通じた社会身分の上昇欲求や、封建社会の成立によって生じた軍事貴族層の領土の拡大意欲だったという解釈が賛同を集めていきました。

また、キリスト教、イスラーム教の双方で見られた一定の宗教的寛容の意義は、論者によっては単純なプラグマティズムに還元される傾向も見られるようになりました。

レコンキスタにおける宗教的動機の重要性

しかし一方で、宗教的動機の重要性を説く研究も存在します。日本語にも訳されているローマックス著『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』はその好例です。この本では、王権のイデオロギーとしての征服理念は半島のキリスト教社会で広く受け入れられ、その結果必然的に戦争は宗教的な色彩を帯びていったと主張しています。

イギリスのスペイン史家であるアンガス・マッケイ氏も11世紀までは一定の宗教的な「寛容」が見いだされる時代と定義した上で、12世紀以降を十字軍精神が支配する「レコンキスタの時代」と分類しています。

より近年ではアメリカのスペイン史家ジョセフ・オキャラハン氏が『中世スペインにおけるレコンキスタと十字軍』で、レコンキスタにおける十字軍としての側面に光を当てています。ローマ教会による罪の許しを背景とした異教徒への戦争を十字軍と呼ぶのであれば、レコンキスタにもその要素は見られるという解釈です。

より総合的なレコンキスタの解釈を目指して

しかし、上記のようなある種二者択一の解釈や、レコンキスタのある側面のみを強調するような論争が行き過ぎであると警鐘を唱える研究者も存在します。

中世スペイン史家の黒田祐我氏の著書『レコンキスタの実像』は、その序論においてこのようなAかBかの単純な図式ではなく、それらが分かちがたく複雑に絡み合った様相を捉えて総合的に分析していく必要性を説いています。

「レコンキスタ」理念とは、正戦 [=正当な戦争:筆者注] かつ聖戦でもありつつも、その最終目標としての西ゴート王国領域の回復の達成のために、実利的で「寛容」なる対応も容認していく柔軟なものであった。

そもそも、レコンキスタとは誰かひとりの人間によってなされた事業ではありません。それは数百年間に渡り、さまざまな人間の思惑や利害が錯綜し、絡み合った中で進んでいったものだと考えるのが適切でしょう。

重要なのはその複雑な状況をまずは理解することであり、そういったさまざまな人の思惑が複雑に絡み合った結果として、歴史を動かすモメンタムが生まれていったこと、その展開や変遷を理解することではないでしょうか。

レコンキスタについてより学ぶために