史料紹介 #2『後漢書』倭伝

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『後漢書』倭伝とは

『後漢書』倭伝とは中国正史の『後漢書』巻115・東夷伝・倭の条をさします。『後漢書』の撰者は南朝宋の時代に活躍した范曄 (398-445)。従って『魏志』倭人伝よりも古い時代を扱った歴史書ですが、編まれたのは『魏志』倭人伝よりも後の時代になります。

東洋史学者の石原道博氏が述べるところによると、『後漢書』倭伝の記述は『魏志』倭人伝によっているところが多いとのことです。確かに、両者を見比べてみると一部のさん潤はみられるものの、大部分は『魏志』倭人伝と類似していることが分かります。

『後漢書』倭伝の面白さ

一方で『後漢書』倭伝にも『魏志』倭人伝にはない記述がいくつか見られます。

ひとつが建武中元二年 (西暦57年) の倭の奴国による朝貢に対し、光武帝が印綬を授けたという話。おそらく「漢倭奴国王」の金印の話と思われるが、こうやって実際に叙述史料にも記述して見られるのが興味深いですね。

建武中元二年、倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜うに印綬を以てす。(『後漢書』倭伝)

また、安帝の永初元年 (西暦107年)、倭の国王帥升なる人物が生口160人を献上した話も伝えられています。いずれも高校の日本史に (おそらく) 登場する有名な話ではありますが、いずれもこの『後漢書』倭伝の記述によるものということが分かります。

安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。(『後漢書』倭伝)

さらにもう一つ、『後漢書』倭伝には末尾に秦の始皇帝が方士徐福を遣わして蓬莱の神仙を求めようとした逸話が挿入されています。そこには夷州 (現在の台湾らしい) などの記述も見えます。

『後漢書』倭伝は『魏志」倭人伝とセットで読むとより面白みが増す本でしょう。

興味のある方は、ぜひ一読してみてください。