百年戦争とスコットランド

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ヴェルヌイユの戦い (Public Domain)

日本における百年戦争の理解

中世ヨーロッパの百年戦争。世界史の教科書にも登場するこの有名な歴史的事件について、日本でも二十一世紀に入って多くの概説書が上梓された。二〇〇三年にフィリップ・コンタミーヌ著(坂巻昭二訳)『百年戦争』佐藤賢一著『英仏百年戦争』が相次いで出版されると、二〇一〇年には城戸毅著『百年戦争―中世末期の英仏関係―』が、二〇二〇年には佐藤猛著『百年戦争―中世ヨーロッパ最後の戦い―』が出版される。これら一連の著作の貢献により、日本でも百年戦争に関する近年の解釈や学説が行き渡り、城戸が前掲書のまえがきで述べたような「時代錯誤的な解釈」にも変化が生まれてきていると言えるだろう。

城戸も述べているとおり、百年戦争とは「もっぱら今日のフランス国土で戦われた戦争」である。教科書にもある通り、一般的にはイングランドとフランスという、当時のヨーロッパの二大強国間で発生した戦争であるとされている。その解釈は決して誤りではないものの、いわゆる百年戦争と言われているものが必ずしもイングランドとフランスに閉じた戦争でなかったことは、日本ではあまり知られていないように思われる。

近年の中世後期の解釈

二〇二一年にオックスフォード・ヨーロッパ小史シリーズから出版された『中世後期』という概説書がある。この本では、序論にて中世後期のヨーロッパで起こった主要な出来事を五つ挙げている。一つ目が一三四六年から一三五〇年頃にかけてヨーロッパを席巻した黒死病だ。この疫病により、推定で当時のヨーロッパ人口の三〇パーセントが死亡したとされている。

二つ目は教会大分裂。一三七八年から一四一七年までローマとアヴィニョンに教皇が並存する状態が続き、ヨーロッパ各国はいずれの教皇を支持するかで大きく分裂した。三つ目は一五世紀のオスマン帝国の台頭と一四五三年のビザンツ帝国の滅亡、そして一四九二年に終了するレコンキスタといった地中海を取り巻く政治情勢の変化だ。四つ目はエンリケ航海王子から始まるヨーロッパ外への冒険活動であり、この動きが一五世紀末のコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマの冒険に繋がっていく。

そして五つ目に(実際には二つ目なのだが)取り上げられたのが百年戦争―では、実はない。より正確に言うと、百年戦争だけではない。同書では「大陸と地中海にわたって広がった戦争のネットワーク」と述べており、その中の特に重要な例として、百年戦争を挙げている。すなわち、百年戦争は依然として重要ではある一方で、それを単独の事件として捉えず、より広い「国際関係」の中で理解する試みがなされていると言えるのだ。

戦争のネットワークとスコットランド

その中でも百年戦争を考える上で無視できない存在のひとつが、スコットランドだ。一二九六年から始まるイングランドとスコットランドの戦争は、散発的な休戦を挟みつつも一四~一六世紀に渡って継続した。さらに、一二九五年にスコットランドがフランスと結んだ「古来の盟約」も、その後一六世紀の後半まで連綿と続いていく。スコットランドは決して百年戦争の「主役」ではないものの、その「脇役」として無視しえない影響力を行使し続けた。

このような「脇役」の存在も視野に入れながら中世後期の戦争のネットワークを解き明かしていくことは、中世後期ヨーロッパの政治や社会を理解する上で重要である。なぜならば、イギリス、ないしはアイルランド中世史の大家であるロビン・フレイムの言葉を借りれば、中世後期にあたる「一四世紀と一五世紀のほとんどの期間、ブリテン諸島のくにぐにはどこも、少なくとも名目的には戦争状態にあることになっていた」のだ。「名目的には」とある通り休戦期間も少なからず存在したが、それでも戦争が政治や社会に与えた影響は大きかった。

中世後期二〇〇年間の変化

実際、一二八六年の時点では、イングランド王とスコットランド王の関係は良好であり、両国貴族の間にはいくつもの婚姻の絆が見られた。二つの王国両方に所領を持つ家門も多く、両国は緊密な政治的ネットワークによって結ばれていた。また、イングランド王はフランス南西部の大部分を所領として持っており、フランス王に臣従礼を取っていた。

その状態が、一五世紀の末には大きく様変わりしている。イングランドとスコットランドはまったく別々の道を歩み、両王国にまたがって所領を持つものはほぼ見られなくなり、それぞれが別個の国の民によって構成されるようになっていた。大陸側におけるイングランドの領地はカレーとその後背地のみになっており、イングランドとフランスもそれぞれ別個の国としての様相を強めていった。

この地政学上の大転換に大きな影響を与えたのが戦争だ。戦争がいつ、なぜ発生したのか。それはどのように絡み合い、展開していったのか。それが当時やその後の社会に与えた影響はなんなのか。それは今日的にどのような意味を持つのか。それらをひも解くうえで、中世後期の戦争のネットワークをその広がりの中で捉えることは意義深いことである。特に、従来あまり日本では着目されてこなかったスコットランドも視野に入れながら中世後期の戦争のネットワークを探究する試みは、その一助となるに違いない。

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