厄介な中世ヨーロッパの暦をサッと調べる方法

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中世ヨーロッパの歴史を研究する際、現代の (特に非キリスト教圏) の人々にとって厄介なのが当時使われていた暦でしょう。

今回はそんな厄介な暦についてと、それを調べる方法を紹介します。

一年の始まり

まず、一年の始まりが現代のように1月1日ではありませんでした。私が研究する中世後期のイギリス (ブリテン諸島) では、3月25日の聖母マリアの受胎告知の祭日が一年の始まりとされていました。

そのため、当時の史料に1333年2月12日とある場合、それは現代の計算で1334年2月12日に相当します。また、この一年の開始日もヨーロッパ各地で様々でした。史料を読み解く際には当時の暦に関する知識が不可欠なのです。

即位紀元 (Regnal Year)

これは現代のイギリスでも残っていますが、年をその時の王の即位紀元で表現することも中世の王文書の慣例でした。例えば「余の即位紀元第3年2月12日に (発給された)」といったような形です。

厄介なのは、この年がいつから始まるかです。この開始日は1月1日でも3月25日でもありません。イングランドでは13世紀半ばまでこの即位紀元は王の戴冠式の日から始まり、13世紀末のエドワード1世以降は王位を継承した日から始まっています。例えば、エドワード1世の息子のエドワード2世は1307年7月8日に王位を継承したため、彼の即位紀元第1年は1307年7月8日から1308年7月7日までとなります。

そのため、エドワード2世の発給文書で「余の即位紀元第3年2月12日」とあった場合、それは現代の暦で1310年2月12日となるわけです。各王の即位紀元がいつからはじまるのかも史料を読み解く上では押さえなければならないということです。

2月のカレンダエの〇〇日...

次に厄介なのは、当時の日付の表し方です。当時の日付の表し方には〇月△日のようなストレートな表現もあれば、「2月のカレンダエの3日」のような表現もあります。仔細は割愛しますが、これは2月のカレンダエ (=2月1日) を1日目として、そこから遡ること3日目、すなわち1月30日のことを指しています。

毎回この表現が出た際、指を折って数えざるをえません。

祝祭日

さらに絶望的になるのが、祝祭日です。当時の文書にはよく「殉教者聖ラウレンティウスの祝日に」のように祝祭日の名称で発給日が示されることも少なくありません。非キリスト教圏の人間にとって、クリスマス (12月25日) を除けば各祝日が何日なのかは基本頭に入っていないのが実情でしょう。なので、毎回せっせと調べる必要があります。ちなみに聖ラウレンティウスの祝日は8月10日です。

さらに輪をかけて厄介なのが移動祝日。そして「1334年の殉教者聖ラウレンティウスの祝日の次の木曜日」のような合わせ技です。ここまでくると、各年のカレンダーを見ながらでないと日付の同定は困難を極めます。ちなみに「1334年の殉教者聖ラウレンティウスの祝日の次の木曜日」は8月11日です。

レファレンスを手元に置こう

当然ながら、上記すべて暗記するのは困難です。ですので、ちゃんとレファレンスが存在します。C. R. Cheney が編集し、後に M. Jones が改定した A Handbook of Dates: for students of British history という本です。この本には、上で挙げた情報がすべて掲載されています。中世ヨーロッパ (とくにイギリス) を研究する際は必携の本です。