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中世におけるヨーロッパの拡大

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フランス:ジゾール城は11世紀末に建設されたこの時代を代表する石造りの城塞建築だ。

10-14世紀における「ラテン=カトリック教圏」の拡大は今日のヨーロッパ社会や文化の一体性を形作るうえで重要な意味を担った。

はじめに

Googleで「ヨーロッパの拡大」と検索すると主に15世紀以降に進むヨーロッパ人のアメリカ大陸やアフリカ大陸への進出や植民地化に関する記事が多数ヒットする。

一方で中世、特に10世紀の後半から14世紀の前半においても別の形での「ヨーロッパの拡大」と呼ばれる現象が見られたことを知っている人はより少数ではないだろうか。

カトリック教圏の拡大

今日の西・中央ヨーロッパは主にキリスト教圏に属する。16世紀の宗教改革を経て現在ではカトリックとプロテスタントに大きく分かれているものの、その土台となる「ローマ=カトリック教圏」が現在の規模に達するのはこの10-14世紀においてだとされている。

10世紀の前半においては、イベリア半島の大部分はイスラーム教圏に含まれており、北欧や東欧には非キリスト教の世界が色濃く残っていた。

イベリア半島のレコンキスタや東ヨーロッパに対する北の十字軍といった征服活動はキリスト教国の支配域を拡大し、新たに征服された土地に人々が植民し、そこに司教区のネットワークが築かれることによってカトリック教圏が広がっていった。また、北欧や東欧に対してはこの時代にカトリックの布教活動が進み、最終的にリトアニアのカトリック化が14世紀に行われるまでその活動は続けられた。

15世紀以降のアメリカ大陸に対する布教活動や、16世紀の日本を含めたアジアに対する布教活動はまさに上記のヨーロッパ内における布教活動の延長線として理解できる訳だ。

貴族のディアスポラ

この時代はいわゆる貴族と見なされている人々のディアスポラ(各地への離散)が進んだ。

イングランドやシチリアでのノルマン人の征服、イベリア半島のレコンキスタ、ポートランドにおけるアンジュー朝の成立、キプロス島への植民といったものから、イングランドによるアイルランドの征服、ノルマン系貴族のスコットランド植民など枚挙にいとまがない。

特に貴族家系の次男坊、三男坊以下、所領の相続が難しい人々が征服活動へ同行したり、もしくはより平和的な形で植民を行うことによって各地に広がっていった。後にスコットランドの王朝を打ち立てるブルース家、ステュワート家は12世紀にイングランドや北フランスで所領を持っていた貴族家系の次男坊、三男坊が当時のスコットランド王に仕えて植民し、そこに根を下ろしたのが始まりだ。

騎士文化と石造りの城塞

貴族のディアスポラが進んだことで、彼らが共通して持っていた文化的な要素もヨーロッパ各地に広がっていくことになった。

特に著名なのが騎士文化と、彼らが居住する石造りの城塞の拡散だ。中世ヨーロッパの城塞は後世のヴェルサイユ宮殿やフランスのロワール川流域の城と比べるとより無骨で質素なものだが、今日のヨーロッパ各地で見られる景観の一体感を形成する上でこれらの文化の普及が進んだことは重要な意味を持っている。

また、このような文化的な共通基盤を有していたことで、婚姻を通じたネットワークの形成や複数の王国にまたがった所領形成が生まれることも容易であった。イングランド王がノルマンディーやアキテーヌを有していたことは有名だが、よりマイナーな貴族たちにおいても例えばスコットランド、イングランド、北フランスにまたがって所領を有する家系が存在するなど、個々の王国の範囲を超えた複雑で後半なネットワークが構築されていた。

農村と耕作地の拡大

10世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパがある種の温暖期に入っていたことが今日の研究では明らかになっている。

この温暖化は当時の農耕技術の発展 (重量有輪犂など) と相まって穀物の収穫量を増加させることになり、この時期のヨーロッパは人口が拡大したと今日の研究では考えられている。人口が拡大することによって従来の農村ではその増える人口を賄いきれなくなり、森林を伐採して新たな農村や耕作地を作る動きが促された。

また、東ヨーロッパでは支配者層によって自由特権が認められた農村や都市が数多く形成され、そこに多くの植民を誘致する活動が見られた。

植民都市と交易

都市もまた、この時代のヨーロッパ各地で多数発展がみられた。

都市民が植民した土地で新たな都市を形成し、周辺の農村コミュニティだけでなく彼らの出身都市との交易網を形成することでヨーロッパ全体の交易ネットワークが発展していった。

特に有名なのがジェノバとヴェネチアだ。両者は地中海の周囲に広範な交易ネットワークを形成し、この時代の商業の発展を促した。ジェノバはコンスタンティノープルに拠点を置き、黒海を通じてその先のモンゴルとの交易にも関わった。

民族の邂逅と融合

こういった人の移動や交流はとくにヨーロッパの「周辺部」において異なる民族間の邂逅や融合もまた招く結果となった。

それは時に例えばイングランドによるアイルランド侵攻やウェールズの征服で見られたように、暴力や対立を伴うこともあった。また、スコットランドで見られたように、在地のゲール語を話す支配者層によるラテン語の書記文化の受容や石造りの城塞の建築、ゲール語系支配者とフランス語系貴族間の婚姻などより非暴力的な形で融合が進むものも見られた。

また、アイルランドの中でも「ゲール人」や「イングランド系アイルランド人」といった様々な民集団やその意識が芽生えた。上で述べたように複数の王国にまたがって所領を形成し、複数の王に仕えた貴族も珍しくなく、この時代の民族は国民国家時代の我々が想像するほど単純なものではなかった。

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