証明書から見る財産や権利の保証 (モノの記憶シリーズ 002)

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証明書から見る財産や権利の保証

証明書とその歴史

突然ですが、皆さんは、家や土地などを購入した時に何をしますか?

ちょっと唐突で曖昧な質問だったかもしれません。期待していた答えを先に述べてしまうと、現代日本では、不動産を購入した場合、登記簿というものを作成するのではないでしょうか。

登記というと、ちょっと馴染みがないなと感じる方もいるかもしれません。そこで、まずは辞書でその意味を調べてみることにしましょう。『デジタル大辞泉』によれば、登記とは以下のような意味を指します。

私法上の権利に関する一定の事項を第三者に公示するため、登記簿に記載すること。権利の保護、取引の安全のために行われる。不動産登記・船舶登記・法人登記・商業登記など。『デジタル大辞泉』

登記簿とは、上記の通り登記の記録です。不動産の登記簿というと、私は○○という場所に△△という不動産を持っています。その不動産にはこういう権利が付いています。みたいなものを書いた証明書だということになるでしょう。[参考]

証明書というものについて再考する

現代に生きている我々からすると、登記簿を根拠に自分の財産や権利を証明すること自体は、特に違和感のない行いのように映るでしょう。 もう少し視点を広げると、身分証明書、卒業証書、資格認定証――何でもよいですが、何かを証明するものとして、証明書というものを用いることに疑問を感じる人は少ないはずです。

しかし、少し立ち止まって考えてみてください。証明書とはすごく雑な言い方をしてしまえば、単なる紙です。もちろん、法律に則って作られており、その効力は国が保証しているわけですが、それでも単なる紙には変わりありません。ハサミで簡単に切れますし、上からボールペンで落書きすることだって可能です。そのような紙を私たちは大切に保管し、何かあった場合の証明として提示するわけです。

人類の歴史を振り返れば、必ずしもそのような紙がいつどこの時代においても大切なものとされていた訳ではなかった――ということが見えてきます。当然そこには、前回触れた文字のリテラシーという問題が関わってきます。

今回は中世ヨーロッパ、11世紀後半の時代のイングランドに旅をしてみて、私たち現代人とは異なった考え方の時代の風習を見ていくことにしましょう。

証明書の歴史とノルマン・コンクェスト

1066年10月14日、時のノルマンディ公ギヨームは、イングランド南部・ヘイスティングズの地でイングランド王ハロルド2世と会戦しました。ヘイスティングズの戦いです。騎兵を中心としたギヨームの軍勢はハロルドの軍勢をまたたく間に打ち破り、勢いに乗った軍勢はさらにドーバー、カンタベリ、ロンドンを降伏させていきます。そしてその年のクリスマスの非、ギヨームはウェストミンスター寺院で戴冠を行います。イングランド王ウィリアム1世の誕生です。[参考: キング『中世のイギリス』]

後世の歴史家は、この事件から始まる一連の征服活動を「ノルマン・コンェスト (ノルマン征服)」と呼びならわしています。それは征服活動であり、軍事遠征を伴ったものだったため、王ウィリアムは自らに付き従った家臣たちに、褒賞としてさまざまな土地や権利を譲渡していきます。

例えば、サセックスの土地はウー伯ロベール、モルタン伯ロベール、ウィリアム・ド・ウォレンヌ、ウィリアム・ド・ブレオーズ、モンゴメリーのロジェといった、ノルマンディ公時代からの有力な家臣たちに譲渡されました。

土地の譲渡は俗人に対してだけでなく、教会や修道院といった宗教団体に対しても行われました。そんな中、1069年に当時行政の中心地であったウィンチェスターにて、王はあるイングランドの土地をノルマン系の修道院に譲渡します。その土地譲渡の記録には以下のような文言がみられます。

この贈り物は、前述の王が先の修道院長に冗談交じりで与えた短剣によってなされた。王はその短剣を彼の手のひらに刺そうとしているかのようにふるまいながら、こう述べた。「これが本来の土地の与え方だ」と。この贈り物は王のそばに立っていた多くの貴顕たちの証言によってなされた。[引用: Clanchy, From Memory to Written Record]

ウィリアム1世の短剣と証書

この記録は、証書 (charter) と呼ばれる中世ヨーロッパの公文書に書かれています。証書というと専門用語なので聞きなれないかもしれませんが、現代で言う権利の証明書のようなものです。まさに、不動産の登記簿のようなものが近いと言えるでしょう。

中世ヨーロッパの証書
中世ヨーロッパの証書。画像は15世紀のもの。 (Public Domain)

しかしここで重要なのは、それが証書と呼ばれる紙によって記録されていることのほかに、王が「本来の土地の与え方」と呼んだ慣行です。彼は、土地の譲渡を行う際、短剣というシンボリックな道具を用いました。また、家臣たちがその行為を見届けることでも、その譲渡の証拠としました。

この「本来の土地の与え方」というのは、王が生まれ育った北フランスのノルマンディにおける慣行を指していると考えられます。ノルマンディはパリからも地理的に近く、フランク王国と文化的にも密接にかかわっていた地域です。この慣行はもともと広くフランク王国で行われていたものであり、そこではこういった儀礼的な行為が土地譲渡の証明として重視されていました。その慣習を、王はこのジェスチャーで表現したのです。

同様の儀礼は、続くウィリアム2世 (赤顔王) の時代にも見られます。王は1096年、タヴィストック修道院への贈り物に際して、「象牙の短剣」を修道院長に渡すことでその譲渡の証拠とした記録が残っています。この記録も証書という紙に書かれている訳なのですが、その際にあわせて象牙の短剣という現代の私たちの目からすれば不思議なアイテムが、権利を証明するものとして重要視されていたのです。

証明書それ自体では効力を発揮しない

このように、土地の譲渡という重要な行為の証明として、その権利が記された紙ではなく、シンボリックな道具と証人たちの「記憶」が重視される慣行は、中世初期のヨーロッパでは珍しくありませんでした。イングランドに限らず中世ヨーロッパでは11世紀以降、爆発的に文書の使用が増えていくことになりますが、その中でもこれに類似した慣行は重要な儀礼として残り続けていきます。[参考: Clanchy, From Memory to Written Record]

13世紀初頭に書かれた『イングランドの法と慣習について』と呼ばれる法の解説書においても、「証書や他の法的文書の作成自体は、贈り物の効力を有効なものにはしない」と述べられています。土地の譲渡は文書という紙だけでなく、シンボリックな道具や儀礼を介して証拠とされる必要があったのです。

また、『イングランドの法と慣習について』には、土地や財産の権利を他人に放棄する際の慣行として「棒と杖によって (per fustum et per baculum)」という儀礼行為が重要であるとされています。これも先ほどの短剣の例と同様、シンボリックな道具で儀礼を行うことで効力を発揮する好例です。[参考: Clanchy, From Memory to Written Record]

現代人の感覚からすると、国によって発給された証明書があれば、権利を証明できることは常識です。そして、それを単なる紙として疑う人はほとんどいないでしょう。しかし、それは歴史の中で権利というものが証明される一形態に過ぎません。11世紀後半のイングランド王による「短剣による土地譲渡」は、まさにそのことを物語っていると言えるのです。

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