YuRAN-HIKO

アナリスト兼、日曜歴史家のブログ。ゲーム分析や歴史のトピックが中心。

なぜ歴史を学んだ方がよいのか?

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なぜ歴史を学ぶ必要があるのか。歴史を学んで何の役に立つのか。歴史が好きな身としては悲しいですが、このような疑問を持つ方もいることは事実でしょう。

改めて考えてみてください。歴史を学んで何の役に立つのでしょうか。その答えは、人によってさまざまかもしれません。やっぱり考えてみたけど、役に立つかわからないという答えもあるでしょう。本記事では、そんな数ある答えの中から、私なりの考えを述べてみようと思います。

歴史を学ぶ意味はなにか?

歴史を学ぶ意味の1つは、私たちの「いま・ここ」の常識を覆してくれることにある。私は、そのように考えています。「いま・ここ」の常識とは、現代の日本人である私たちが「当たり前だ」と思っている事柄です。

その当たり前が、実は当たり前ではない。例えば、外国のことを学ぶと、日本人とって常識だったことが、実は常識でも何でもなかったことに気づかされたりします。それと同じように、歴史を学ぶことで、私たち現代人にとって常識のようなことが、実は過去では常識ではなかったということに気づかされるのです。

私たちの思考のかせを外し、より広い価値観や視野に気づかせてくれる。これが歴史を学ぶ1つの醍醐味であり、意義である。私はそのように思います。自分たちとはまったく違う世界を生きた人々の存在やその生きざまを教えてくれる。言い換えるならば、それは時を超えた異文化体験とでも言えるものでしょう。

例えば、島国で住んでいる私たちは、日本という国が大昔からずっと続いているものだと感じがちです。そして、そこには大昔から「日本人」がずっと暮らしてきたという言葉に、疑問をもつ機会は案外少ないかもしれません。

例:日本人とは何か?

しかし、よく考えてみると「日本人」とは何でしょうか。日本国籍を持っている人という考え方もあるかもしれません。では、そんな制度がなかった2000年前の「日本人」とは?日本で生まれ、育った人のことでしょうか?そうすると、果たして2000年前に日本という国はあったのでしょうか?

もう少し一般化すると、そもそも「〇〇人」という意識は何なのか、という問いに行き着きます。これは決して簡単な問題ではありません。しかし、民族やエスニシティ、ナショナリズムやネイションというキーワードで歴史の本を読んでみると、そういった「○○人」観は決して最初から存在したわけではなかったことが分かります。それらは歴史のある時点で作られ、そのルーツを過去に求められ、常識化されたものに過ぎません。

網野善彦『日本社会の歴史』のような本を読むことは、私たちの「いま・ここ」の常識にとらわれないものの見方に気づかされます。よりかたく、専門チックな本としては、例えば『想像の共同体』『ネイションという神話』『ナショナリズムの歴史と現在』『民族とネイション』あたりが挙げられるでしょう。これらは、私個人にとっても、価値観や視野を改める上で大きな学びを与えてくれた本です。

自分のアイデンティティを持ち、周りの人々と仲間意識を持つこと自体は大切なことです。しかしながら、そのアイデンティティがどのように生まれてきたのか。また、そういったアイデンティティがなかった時代、人々は自分たちのことをどのように捉えていたのか。歴史からそれらを学ぶことは、グローバル化した現代において大切なことではないでしょうか。

例:国家とは何か?

今度は、日本やアメリカ、韓国といった「国家」について考えてみましょう。アメリカ合衆国が18世紀に成立したことを疑う人はいないかもしれません。一方で、日本という国がずっと昔から続いていると考える人も少なくないのではないでしょうか。少なくとも、縄文時代や弥生時代の後の時代、ヤマト王権が出てきたあたりから、連綿と続いてきているようなイメージを持つ人も少なくないでしょう。

ここで問題になるのは、そもそも「国家」とは何なのか、という問いです。『ブリタニカ国際小百科事典』では、国家は「一定の領土と国民と排他的な統治組織をもつ政治共同体」と定義されています。

私たちは、領土があるということはその領域を区切る「境界」があるものだと思いがちです。また、その領土内に均一な形で統治のしくみが形作られているともイメージしがちでしょう。しかし、そのような境界概念や統治の仕組みが大昔から存在していたかは、自明ではありません。

国と国の境界

例えば、843年のフランク王国で締結されたヴェルダン条約というものがあります。これは、フランク王ルートヴィヒ1世の死後、その子らが王国を3つに分画して相続することを定めたものです。そのうちの1人であったロタール2世が死去すると、870年にはメルセンで新たに結ばれた条約により、王国は再度3つに分割されます。

その分割された領域がおおむね現在のフランス、ドイツ、イタリアに近いことから、このヴェルダン条約、メルセン条約による分割はそれらの国々の起源を生み出したと言われたりもします。実際、以下のように明確な線引きがされたような地図が、後世に生み出されたりもしています。

870年のメルセン条約での王国分割
870年のメルセン条約での王国分割 (Public Domain)

ただし、当時の人々がこの地図のように明確な境界線をイメージしていたかどうかは、別問題です。そもそも、現代のような正確な地図など存在しなかった時代です。本当に、王国はこのような形で分割されたのでしょうか。

当然、昔においても境界という概念が無いわけではありません。例えば川のようなものは、わかりやすい境界として定義されることも少なくありませんでした。また、中世ヨーロッパの土地譲渡文書にも、境界という単語は出てきます。所領の範囲を検査する行為として、地域の名士や役人によって行われる踏査(perambulation)というものも存在しました。

しかしながら、現代のように国境に税関があったり、県境の標識のようなものが存在しなかった時代です。その時代の境界意識は、今日よりもずっと曖昧なものでした。それは線というよりも、帯のようなものと言った方が適切かもしれません。例えば、中世初期のイベリア半島では、キリスト教国とイスラム教国の間には、そのようなほぼ無人の帯のような地域が幅何十キロメートルにもわって続いていたと考えられています。

王と家臣

また、私たちが国家というものをイメージするとき、そこには政府や王の宮廷のような中心が存在し、その下に政治的に強く結びついた共同体があるように思い描きがちです。そして、例えば東京都は日本国の地方自治体であって、日本国にのみ従属している共同体であることは自明のように思えます。

ただし、中世ヨーロッパの王国を見てみると、そのようなイメージとは異なる「国」が存在していたことがわかります。例えば、11世紀以降、イングランド王は王としてフランス王と対等な立場を主張しつつも、フランス王の臣下としてノルマンディやアキテーヌといった所領を有していました。

スコットランドの王も13世紀には王としてイングランド王と対等な立場を主張しながらも、北イングランドに持っていた所領に関しては、イングランド王に臣従礼を取っています。また、イングランド王、フランス王、スコットランド王の3者いずれの臣下でもあるような貴族も12-13世紀には存在していました。

1000年頃のフランス王の支配圏はパリ周辺のごくわずかの土地だけで、その周りには王よりも強い権力をもった諸侯がひしめいていました。フランス王が、その王国の範囲と言える地域全体にわたって、強固な支配権を行使出来ていたわけではなかったのです。

つまり「国」というものの形やあり方が、今日の国家とは大きく異なっていました。国のあり方は時代や地域によってさまざまである。その視点を持つことは、現代世界において国家や政治の形を考える上で意味のないことではないでしょう。

おわりに

歴史を学んでも、すぐ明日から仕事や生活で使えるスキルが身につくことは少ないかもしれません。しかし、歴史を学ぶことは、常識で凝り固まった私たちの頭を柔らかく、より柔軟な価値観や観点を与えてくれます。

その営みが途絶えてしまうと、私たちは「いま」という視野でしか物事を考えられない、非常に近視眼的な考えで凝り固まってしまいます。それを避けるためにも、歴史を学ぶ意義があると言えるのではないでしょうか。

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